こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

記憶の断捨離

認知症になるということは

いらない記憶をごっそり捨てることだと

いえるのかもしれないと思っている。

 

今生を終えるときに

抱えていく記憶にメモリー制限があるならば

断捨離をして大切な映像だけを

残していくものじゃないだろうか。

 

あちらの世界から振り返ったとき

どんな人生だったと思うんだろうか。

 

母は何を抱えていっただろう。

病院で最後に親切にしてくださった

同郷の看護師さんの声だろうか。

それとも若い頃 家族みんなで

わいわい騒いだシーンだろうか。

 

最後の記憶が残るのか

それとも最愛の記憶が残るのか。

そして

「そこに私はいるだろうか」

  

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