こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

介護は保母?

思い返してみると子供の頃将来の夢に

保母さんと書いていた時期がある。

 

だがそうなっていないのは

自分は子供が苦手だし

何より細胞と人格をゼロから育て上げるなどという

天地創造みたいな大それた責任への畏怖が強すぎた。

なのでその機会にはめぐり合わなかった。

 

ただ

ここにきて符合することが増えてきた。

介護は逆再生の保母さんに近いのでは?

 

まだ仮説であって腑に落ちてはいないのだが

根拠がひとつある。

 

この記事の日は自分の誕生日なのだが

太陽のサビアン(人生の目的)が

「流されてしまった船着き場」。

 

占い師にはドン引きされる

トラウマサビアン。

 

だがジョン・レノンと同じ誕生日と言えば

印象は大きく変わるだろう。

 

解釈は多岐にわたるものの

「人生に傷ついた人々とともにいる」

「ザ・カウンセラー」

という表現ならしっくりくる。

 

解決するのではない。

一緒に流され一緒に困って

同じ痛みを経験する。

そのプロセスを経てこそ見い出せる

人生の意味に到達する。

 

確かに若い頃から

ずっとそんなことやってきたよな

という実感はある。

 

介護は生活だから

一緒にいなければ話にならない。

 

母の暮らしとこころを

父の生活と健康を

そしてあの人とあの人の人生を

まるで子供の面倒を見るかのように

続けてきたのも事実。

 

振り返ってみれば自然なことだとも思うし

他の人ではできなかっただろうとも思う。

 

これから平成長屋で

仲間と一緒に老いていくことも

あたりまえのように思える。

 

長かった冥王星Wスクエアを抜けて

ようやく軽くなってきた日々。

 

期が熟してきた感。

よりよい一年へ。

 

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