こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

服を捨てるとき

まだ母が入院中に実家処分する際

母の着物を捨てるときのためらいは

今でも罪悪感のようにこびりついている。

 

後見の中でも同じ体験があり

かつて相方が亡くなったときの記憶も鮮明。

 

私は誰かの後始末をする運命のもとに

生まれてるんだろうか。

 

さていよいよ父の古い衣類を

本人に黙って処分を始めた。

そもそもこの部屋に持って来なければ

よかったのだが

本人には大事な記憶があるのだろう

持って行くと譲らなかった。

 

それは主に30年以上前のスーツ類。

いわゆる「いっちょうら」である。

大切なのは分かるけど

既にサイズが合わないし

生地も傷んでぼろぼろ。

とてもじゃないが表には着て出られない。

そんな父の服が大量に

私のクローゼットでうなっている。

 

本人の意思を優先し保管してきたけれど

もういいよね?

必要になったら新しいスーツを作ろう。

 

たぶん今の父は

服のことなんかすっかり忘れてる。

そして日々欠け始めた記憶は

もうそこには戻らない。

 

今は「食べる」ことだけで精一杯。

ただ「生きる」ことに必死だから。

 

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