こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

石原慎太郎氏

文藝春秋4月号には

亡くなった石原慎太郎氏の

絶筆全文が掲載されていた。

 

余命宣告を聞いてから

こんな風に受け止めていたのかと息をのむ。

たくさんのイメージが広がる中で

自身の終焉に向かう言葉に

いつもとは違う含みが

とても多く思えたのは私の想像だろうか。

 

政治のことはよく分からないが

作家として 人として

とてもゆたかな広がりを持った方に映り

愛嬌のある魅力的な人間像をそこに見ていた。

 

それは立川談志師匠とよく似ている。

実際とても仲良しで

談志が亡くなる数ヵ月前の対談映像には

生き生きと話すお二方の姿。

 

「人は生まれた瞬間から死に向かって生きる」

これは拙作「最後の夜」の一文。

この矛盾とどう折り合いをつけて生きるのかを

どうやったらうまく生きていけるのかを

いつも頭のどこかで考えている。

それは私だけじゃなかったんだなと

石原慎太郎氏の絶筆を読んで思う。

 

それにしても

石原慎太郎立川談志のみならず

野坂昭如とか大島渚とか中島らもとか

ちゃんと「自分」の世界を生きた人

自分の言葉で人と対峙できた人が

また一人いなくなってしまった。

 

社会の中の大黒柱のような

いつもある支えが消えたような心細さよ。

 

いつか父がいなくなったときにも

こんな風に思うのだろうか。

 

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