「はじめての老い」を書いた頃は40代前半で
瞬発力が落ちたことやドライアイ程度で
老いを発見したつもりになっていた。
健康自慢だったからこそ
小さな変化に敏感すぎた。
最近加齢による身体の変化が著しく
一生この面倒と付き合わねばならぬ
という不可逆的変化が発生し始めた。
原因はストレスらしい。
たぶん半年前から年末年始
毎朝毎晩父は息をしているかと
全神経をピリつかせていたのが理由だろう。
(任意の治験には不参加のため薬害の可能性は0)
もう二度と戻らない変化。
あらゆる現実をあきらめて受け入れていく。
それが本当の「老い」なのだ。
まるで悟り。あきらめて受け入れる。
先日読んだ石原慎太郎氏の絶筆は
江藤淳さんが「肉体の衰弱に嫌気がさして」
いのちを絶ったことにも触れていたし
晩年の立川談志師匠も慎太郎氏との対談で
思うようにならない身体に苛立っていた。
半身が動かなくなって10年以上経っているのに
叔父はいまだに泣き言をくり返している。
身体が精神の邪魔をするようになったら
やっぱり自分の人生ではない気がするものね。
そうやすやすと悟ってたまるかってね。
あがき続けてこそ。
冬の空は青い。正月の成田山から眺めるみなとみらい。