こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

ボケない男もつらいよ

炎天下にさらし続けた植木を今は

室内や廊下の「かろうじて外」へ。

当然どれも不調でメンテナンスも変わる。

 

そんな中ずっと卓上で威勢のいい

ガジュマルを植え替え。

根が張って鉢が小さそうだったから。

 

父はもう鉢を動かすどころか

水やりもできないのだが

私がやるのは気に入らないようで

「置いといて。後でやるから」

 

あらそうですかと退散。

父はいつものように一人になりたいのだ。

 

しばらく手付かずだったが

自分で言った手前しぶしぶ始めている。

ところがひとつ鉢を動かしたらもうギブアップ。

 

遠くから見ていたが仕方ないので

「私がやりますから」と引き受ける。

 

やれやれと座ろうとした父は

椅子からずり落ちてひっくり返る。

 

部屋の中はカオス。

 

骨折してないことを確認して

抱えて立ち上がらせ 座らせる。

父は「なんにもできなくなっちゃったな」と泣く。

 

…更なるカオス。

今それどころじゃないんだが。

 

つくづく思うのだけれど

認知症がないまま身体だけが

老いていくのはあまりにも酷。

 

あの強気で無神経だった父が

日々さめざめ泣くなんて。

 

もしかしたら

陽に当たらないせいで

老人性鬱 になっているのかもしれないけれど。

 

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