こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

矛盾に耐える

自分の場合

介護がシリアスで長引いていたのは

感情が整理できていないためだった。

 

気持ちの整理ができて割り切りができれば

やることは決まっていてあとは「慣れ」。

もちろん病気を理解して

あらゆる対応を学んだ前提ではあるけれど。

 

感情もごちゃごちゃで

現実もぐちゃぐちゃで

なんでこんなことを!って思いながらも

その責任を引き受け続けるしかない。

 

そこを越えることでしか

見えてこないものがたくさんあるわけで。

 

前座の修行みたいだなぁなんて

ひそかに思っていた。

 

立川談志師匠の言葉で好きな一つは

「前座とは矛盾に耐えること」。

 

責任を引き受けていくって結局

どの世界でも同じ意味なのかな。