こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

祖父の最期

民生委員をしていたという祖父は

60代の若さで亡くなった。

それはまだ私が生まれていない頃の

家族が帰省している間のできごと。

 

ああ疲れたと横になってそのままだった。

 

 

「あんたたちが来たから喜びすぎて死んだんだ」

とそのとき母はまわりに言われた言葉を

後々まで引きずっていて思い出すたび悔しがった。

 

でもいわゆる「ピンピンコロリ」で

苦しまずにいった祖父は

今の時代から考えれば

とっても理想的な最期だとも言える。

 

そんな昔話や先祖の話を

父とゆっくりできるようになってきたこの頃。

 

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