こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

笑いの前に

「介護は笑って」

と言えるようになったら

もうそれは終盤。

というかほぼ介護の卒業。

 

今この瞬間をどうにかこうにか

生きていくだけでせいいっぱいで

自分のことを考えることさえままならず

ましてや笑いに変換するなんて

余裕はまったくなかった8年間。

いや10年か。

 

あるいは

お金を払って他人に丸投げ

なら笑う余裕もあるのかもしれない。

 

丸投げされている「他人」は

笑う余裕なんかないと思うけれど。

 

本人が亡くなって一年。

ようやく「自分」の日々が

見えてきました。

 

それでも過去の介護を

笑いに変えられるのなんて

ずっと先だろうと思う。