まだ母が認知症診断を受けていない頃
週に何度も呼び出され駆け付けるたび
決まって同じ料理が並んでいた。
レンコンの明太子炒め。
父と3人で食べる副菜にしては多すぎる量で
今思えばもうそれしか作れなくなっていたのだろう。
だから子供のためにたくさん作ってあげようと思ったのか
あるいは加減が分からなくなっていたのか。
いずれにしても帰りに決まって私は
その大量の残りをお土産に持たされた。
弁当を持たせて幼稚園に送り出すみたいに
かつての記憶の踏襲だったのかなとも思う。
病によっていろんな奇行があったけれど
過去にさかのぼればすべてに意味があるのかもしれない。