「桜が見えていますか?」 豊田久乃
越してきた向かいの山は、昭和を代表する演歌歌手が眠ることで知られる広大な墓地。地元では桜の名所として名高く、あたたかくなると山全体が花開くかのように、だんだん薄ピンクに色づいていく。明るい窓際に座ってその変化を日がな一日眺める父と「いつ桜を見に行こうか」と嬉々として計画を立てるのが我が家の「春」。
あたたかい晴天の日を選び、満開になった桜並木までの道のりを、80歳を過ぎたの父のペースでゆっくりのんびり、時間をかけて坂をのぼり階段をあがる。普段部屋から眺めている景色の中にたたずみ、遠くにかろうじて見えている我が住まいを見つけ出して写真におさめたりするのがルーティーン。
そんな春の楽しみも4度目を数える2019年。桜を愛でた帰り道で父は急に「しんどい」と言い出して歩けなくなり、公園のブランコで長いこと休んでから戻った。夏前に倒れて入院。
それでも翌年、翌々年は体力が落ちたものの、リハビリ代わりだからと本人がはりきって、以前よりもさらにゆっくり自分の足で歩いて桜を撮りに行く。
2022年には医者が家に来る事態となり、ついに父は外に出られなくなった。そこで私はいつもの道を動画で撮ってきて父に見せた。思いのほか喜んでいる。加えてすでに花が二、三開いている鉢植え「啓翁(けいおう)桜」を花屋で見つけて抱えて帰る。まだ小さく花も少なかったが「家にいて花見ができるね」と父はほんの少しだけ、うれしそうに見えた。
2023年は体調の急変が続いて桜の時期は長期入院と重なった。満開になった啓翁桜を背景にオンライン面会でかろうじて春を届ける。「見える?」「見える。もっと下の鉢まで見せて」などとわがまま全開なのはいつも通り。
そして今年2024年。
啓翁桜はすでに2度植え替えて大きくなり、台風や大雪にも耐えていっぱいの花をつけている。
それなのに 父はいない。
向かいの山が満開なのも見えてはいるが、私は今年、そこに行く理由がない。せっかく見事に育った啓翁桜も見せたい相手が、もういない。私は写真を撮ってまわりの人やSNSで「キレイでしょ」と見せまくる。街中が桜で満開の時期に見せられたとて、この桜の存在の意味を知らないほとんどの人の反応は「ああ、そうね。キレイだね」。
必要なのはそういう言葉じゃないんだ。
この空振り感は、どうしたら、いつになったら、ぬぐい去れるのだろう。
そういえばちょうど20年前、私は全く同じことを書いていた。当時と異なるのは、達成感のようなすがすがしさ。一点の曇りも後ろめたさもない。隅々までやり切って送り出したことは、先に待っている母やご先祖様にも堂々と顔向けできるという誇り。
「今年も咲きましたよ。“そちら”からこの桜は見えていますか?」
オンラインよりも届きにくいところに向けて、私はひたすら祈りを送る。
啓翁桜は何事もなかったかのように、ただ美しく咲いている。
了
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2022年
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