こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

生老病死

ある時期仏教に関する本を読み漁りました。
それは信仰を持たない自分にとって
終活の意味を理解することと
その方法を決めるためでした。

 

親が老いていくこと
頭が呆けて
身体が動かなくなって
食事もとれなくなり
枯れ木のようにやせ細っていく…

 

見せられているその姿はまさに
「お釈迦様の最後の在り方そのもの」
という気がしました。

 

いのちの循環の中で
自分を生んだ人の老い
一瞬たりとも取りこぼしのないように
見つめ続けることは
とても意味のあるかけがえのない時間に思えました。