こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

見えていますか

ずいぶん長いこと

母の代理 父の代理で

「私」はどこにもいなかった。

自分の人生を降りて役割を生きる。

とにかくそうやって走り回って

いなければならない現実があった。

 

そろそろ母の喪が明ける時期。

父ともセパレートしていこうという気分に。

 

自然に「私」が動き出して

社会の中で見えてきた手ごたえ。

 

透明な人型ガラスボトルだったところに

色のついた液体がなみなみと満ちていくようで

刻々とよみがえる「自分」。

 

大勢の中で「豊田さん」と名前を呼ばれるのが

母でもなく 父でもなく

私なのだ ということに気付いて

少し驚く。

 

「私が見えているんですか?」