こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

想いの矛先

想いを注いだ分だけ

その人のこころには届くだろうと信じている。

たとえ認知症であっても

会話がうまくできなかったとしても

それは決して一方通行ではないはず。

 

それでも近くにいながら

反応がなかったり

何を考えているのか分からないのは

心細くてどこか信じられず

返ってこない言葉を探し続けてしまう。

 

でももう

言葉はいらないのかもしれない。

 

相手はただそばにいることで

安心しているのかもしれない。

 

言葉が欲しいのは

自分のわがままなのかもしれないし

自分の想いの落としどころを

確認したいだけなのかもしれない。

 

さまよっているのは

自分の想いだけなんだきっと。

  

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