こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

具体的なイメージ

最期はどんなプロセスにするのかは

ずっと前から具体的なイメージがある。

 

母の場合はイメージの余裕すらなかったが

父の場合は最初から変わらない。

 

市民後見人の活動の中でもそれはあって

驚くべき展開で見事その通りになった。

 

父のイメージと今の現実はまだ解離がある。

そこに行かれないならと準備してきた今。

これでもいいんだけど

なんとなくしっくりこないのは

やっぱりそのイメージのかたちに

持っていきたいから。

 

保険がある今なら

そこに向かう余力もまだあるかもしれない。

 

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