こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

欠落が埋まったら

不足を埋めるためにがんばっていた人は

欠落が埋まったらどう生きていくのだろうか。

それともがんばるために

ずっと欠落を生み出していくんだろうか。

 

このところ日々穏やかで

やや手持ち無沙汰なのは

あらゆる欠落は埋まり

こころは満ちて

問題は解決し

あとは平穏無事な日々

という状況にもってこれたから。

 

ここまで来れるとは

正直思っていなかった。

 

幸せっていうのは

あんがい退屈なものなのかもしれない。

 

老いてからの日々とは

すべてがあるという幸せでもあり

それはもはや

がんばりようのない退屈なのかも。

 

すべてがあってもなお

人は人との関わりの中でしか

生きられないような気がする。

 

どんなかたちであれ

人がそばにいること。

その環境を手放さないことが

退屈から救ってくれる。

 

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