自分が理解したものが自分の中に在る。
誰かに言われた通りに生きていては
何ひとつ自分のものにはならなかった気がする。
手放すことは簡単だけれど
手放さずに理解に向かおうとする
そのプロセスこそが家族なんじゃないか。
家族らしくない家族だからこそ
最後はちょっとくらい家族らしくありたいと
思い続けてきたらなんとなく
そうなってきたような気もする。
ひとり介護は大変だったけれど
山を越えてみればやっぱり全部
ちゃんとやってよかったなと実感。
もはや悔いは残りようもないほどに。