こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

分かろうとするアンテナ

母がいた病院でも街中でも

見学先の施設やグループホームでも

たくさんの認知症患者さんと話をした。

 

そういう場では

自分の中の普段使っていないアンテナが

相手の本心をなんとか見つけようと

体中が総毛立つかのように

フル稼働して受信を試みる。

 

この感じは普段の生活ではどこにもない。

かつて母と暮らしていた頃は

24時間アンテナ張ったままだったので

それはそれは疲弊した。

 

このところ認知症患者さんと対峙するときに

自分のアンテナが開く感じはけっこう好き。

 

そして会話ができたり笑顔を見れたときの

よろこびといったらもう。

 

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