こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

介護の終わりとは

本の名前を失念したが

医師が書いた文章の中に

「死とは医療の敗北」

という言葉に驚いたのを覚えている。

 

ただ光の当て方によって

意味が大きく変わる一文でもある。

 

救急医療の現場と緩和ケアでは

その答えはまるで違うだろうし

年齢や本人の意志や家族の想いによっても変わる。

 

そもそも正解なんてないのだとも思う。

 

母が意識を失ってから約2か月は

点滴一本で頑張っていた。

その姿を見るために毎日病院に通うことは

つらいことだったけど

そのつらさからの解放とは

母の死を意味するわけで

それをどこかで望んでいる自分の性根を

うとましく思ったりもした。

 

その感覚が再び

父にそして今抱えている方にも訪れている。

 

ずっと父の介護が終わったら

あれをしようこれをしようと考えているものの

それはすなわち父の死後であって

その先に私の自由があるという矛盾を

望む自分って何なんだろうか。

 

誰かの死によって終わる仕事という矛盾。

だからこそ介護を終わらせてはならないという堂々巡り。

 

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