こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

公衆電話

母が入院した最初の病院は

バスと電車を3回乗り継ぐ距離。

けっこう用事があり週3回ほどせっせと通った。

 

さらにその合間にも病院の母から電話。

ナースステーションから10円玉をもらって

かける電話はほぼ毎日に。

 

「コウシュウデンワデス」という呼び出し音に

私も父も飛び上がる。

まだ家の中で暴れていた母の記憶が鮮明だったから。

 

内容はたわいのない話ばかり。

たださみしかったのだろう。

声を聞きたかったのだろう。

家に帰りたいんだろう。

分かってはいたけれどどうにもできなかった。

 

公衆電話のくぐもった母の声は

10年近く経った今でも鮮明に覚えている。

 

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