この頃気が付いたことなんだけれど
相手を自分の理想にはめ込もうとして
そうでない相手に苛立ったりしていたのかも。
特に親きょうだいといった近い存在ほど
理想であってほしかったし
素晴らしい人格者でいてくれたらと
完璧なイメージを押し付けていた気がする。
なぜうちはそうじゃないんだろう?
なぜこの人はそうじゃないの?
そんな風に探し求めて長いこと苦しんできた。
でも認知症という病気を通して相手を見るとき
病気以外の「その人」を探そうとしつつ
目の前のその人の現実丸ごとを受け入れられる。
どうしてそれが家族にはできなかったのだろう。
ただその人そのものを見るだけでいい。
その人の言葉。行動。それがすべてだ。