こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

いのちの在り方

存在とはまわりの人によって

定義され生かされるものだと

つくづく思う。

 

ずっと寝たきりの人は

まわりの人を

どれだけ成長させることか。

 

春山社長を例に出すまでもなく

その人と向き合い迷い考えてこそそこに

フランクルの言う「人生の意味」が

だんだん浮かび上がってくる。

 

介護はしんどいけれど

必ずやってよかったと思うはず。

介護前と後の自分自身は

もう別人レベルで違っている。

 

父と母が現場で教えてくれたわけだ。

 

その経験はもうすでに

社会の中で別の人の役に立っている。

 

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