こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

念が消えた頃

実家処分のときに持ってきた

母のものが今も残っている。

形見になるほどのものでなし

ただ処分すればよいのだけれど

母の「念」が相当強くて

なかなか捨てるに至らなかった。

 

それが母にとってどんな意味があるのかを

耳にタコができるほど聞かされてもいたから。

 

母が他界してもう6年。

ふと気付くとあんなに強かった念も

憑き物が落ちたかのように

さっぱりと消えている。

 

ああここで処分なのね。

 

高齢者がゴミ部屋を作ってしまう理由は

気力体力がなくなったり

もったいないからとか

めんどくさいが続くんだろうけど

ふと思ったのは

いらなくなっても「捨て方が分からない」

つてこともあるんじゃないか。

 

分別方法ってことじゃなくて

そもそも「捨てるもの」とは

思っていないんじやないのかな。

 

などと長年の思い出にまみれた品を

ゴミ袋にキッチリ納めながら

ふとそんなことを考える。

 

昔の母だったらここで私を叱り飛ばして

ゴミ袋を奪い取り

私への罵詈雑言を並べながら

もとの場所に戻すんだよな。

 

そのリアリティすら

だんだん薄くなってきた不思議。

 

 

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