こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

帯状疱疹

父と母がまだ二人で住んでいた頃。

だんだん母は家事ができなくなって

その理由を父への怒りに変換して強めていた。

 

自分の食事は一応用意できるものの

父の食事を作るには至らず

父は台所に入ることもはばまれて

食事をとれないことも多かった。

たまに作れても

インスタントラーメンに卵を入れるだけ。

 

朝から晩まで母がそばで暴れている。

そんな毎日が続き 寡黙な父は

突然 血尿を出したり

身体中に帯状疱疹を出したりをくり返した。

 

いまだに私が父の食事作りに手を抜けないのは

たぶんこの頃の記憶が消えないから。

 

父の人生はさほど長くない残り時間だろうから

今日の食事が最後の晩餐かもしれないのだ。