こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

嵐のような人

母は良くも悪くも

嵐のような人だった。

 

まわりの家族はいつもピリピリして

逃げるか闘うか被害にあうか。

そしていつもその後には大変な片付け。

 

嵐への準備と対応と片付けに

明け暮れていた長い時間が過ぎて

凪のような穏やかな日常が

一年中続くようになった今

私たちはあまりにも手持ち無沙汰なことを知る。

 

先日あるところで

「関係性の中にいてこそ私たちは存在意義を見出せる」

と書いた。

そしてふと

何だかんだ言って母は家族の指針で

私たち家族は今 軸となる心の拠りどころと

どうすればいいのかという「行き先」を見失っているんだ

と気が付いた。