こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

母という軸

長年家の中には母の病気という問題があって

それにどう対処するかとか

避ける方法とか逃げていいところとか

家族の中で暗黙の了解のようなルールが

無意識の中に出来上がっていた気がする。

 

その母がいなくなった今思うのは

良くも悪くも間違っていても

母が強力な磁場であったこと。

指針を失った家族は時間が経つにつれて

どんどんギクシャクが広がっている。

 

誰かを代わりにしようとして

父は私を母の代理みたい扱っているが

私はというと父の介護の終わりさえ見つめて

次の準備にとりかかっている。

 

母がいないという時点で

もう同じではないんだよね。