こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

相手満足

以前仕事をさせていただいた

編集長がいつも私に諭していた。

 

「社会的存在になるとはどういうことか」

 

社会の中で自分は何ができるのか。

どう生きれば社会に爪痕を残して逝けるのか。

ずっとその答えを探し求めていた気がする。

 

ところが突然降りかかってきた介護。

社会の前にまず自分の家の中を。

他人の前に実子としての義務を。

 

そう思って引き受けた親の介護だったが

ふたを開けてみれば

やってきたすべてのことが血肉になり

いつしか他人のために生きられている自分。

 

自己満足から相手満足へ。 

   

ノブリスオブリージュも

慈悲も利他も

隣人を愛せよも 

結局同じところを目指す。

 

人は誰かのために生きられることが

幸せなのだとはっきり思う。