こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

事前見積

まだ先のこととは思いつつ気が急いて

事前見積にひそかに葬祭業者を

数軒たずね歩いている。

 

業者と話をするのは悪くない。

対応してくださるのはたいてい

この分野の経験値を持つ同世代の女性で

なかなか聞けない話を

いろいろと教えてくれるからだ。

 

さらには聞けば聞くほど

だいたいの相場感が分かってくる。

 

焦らされて不安をあおられて

中身のよく分からない

高額な丸ごとセットを押し売りされて

業者の言いなりになるのがいやだから。

 

なぜこれが必要なのか

どうしてこの価格帯なのか

理解して納得したものには

きちんとその代金を払う。

でもそうじゃないものには払わない。

 

そのためには正しく知る必要がある。

 

母のときは

「なぜ仏式である必要があるか」を

仏教の成り立ちから学んで考えた。

その結果

母を長い修行の旅に出すのはやめた。

 

だってもうそんなことより

ゆっくり休みたいだろう。

 

家族として十分に

生きている間にできることはやり切った。

だから亡くなった後

本人もいないのにそこにお金をかけるのは

残った側の自己満足あるいは世間体でしかない

と私は思っているので

できるだけ簡素にていねいに静かに穏やかに

心を込めて送り出したいだけなのだ。

著名人ならまた別でしょうけれど。

 

そういう場所を今さがし歩いている。

 

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