こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

譲るということ

藤原寛美さんが亡くなった後

桂米朝さんが追悼していた番組の動画を見た。

 

寛美さんの生き様や情熱について語った後

ポツリと「後継を育てなかったことが残念」

という話をされていた。

 

全部ひとりでできる人はつまり

人に頼るということをしないから

後世につなげていくということにもならない。

 

それを「もったいないなぁ」と嘆く米朝師匠。

落語家の世界は縦社会だものね。

 

そのシーンを思い出したのは

身近で全部ひとりで他人の面倒を見てきた人が

ふと

「私もいつ何があるか分かんないから」

と他の人に仕事を振り始めたのを見たからだ。

 

ああこの人にも老いが。

悔しいだろうな。

心配だろうな。

こんなに完璧にひとりでやってきたのに

できるかどうかも分からない

若造たちに譲るなんて。

 

でもこの方が倒れたら本当にまわりが困るので

こうして割り振っておいていただけるのは

実のところ何よりも助かる。

 

ボンクラ若造の一人として

なんとか引き継いでいきますよ。

 

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