こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

普通に暮らすということ

誰かが配慮を重ねて動いているからこそ

保たれている「普通の暮らし」。

 

父母や被後見人の日常を見てきて

つくづく

「普通に暮らすって稀有なこと」と思う。

信じられないほどたくさんの人が

見えないところで支え続けているからこその平穏。

 

このところ

十何年かぶりに自分のリズムで

暮らせるようになってきた。

 

それは時間のことではなくて

自分に意識を向けられるようになったということ。

自分を優先順位の一位にできるってこと。

 

心身が落ち着いてきた。

 

ということはつまり

これまでの介護の日々は

やっぱり非日常だったのだ。

 

自分の舞台をお休みして

別のステージに出演していたみたいな。

その証拠に早くもその介護の日々が

「長い空白」となって

記憶がまるごと抜け落ちつつある。

 

ここに書き留めておいてよかった。

いずれ少しずつまとめて物語へ。

 

自分の人生や日常が

何事もなく進んでいるということは

誰かが自分の代わりに

あらゆるすべてを引き受けてくれているってこと。

 

介護に限らず

日常のあらゆるすべてがそうで

誰かが道を切り開き

整備してくれているからこその毎日。

 

なんかこれって

カーリングみたいだなって

いつも思っている。

 

ykaigo.hatenablog.com