こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

母の不定愁訴

子どもの頃 母が訴え続ける不調に参っていた。

それにしてもあとからあとから

ずっと不調を訴えていて

「どんだけ病弱よ」って

10代の健康な私には共感ができなかった。

 

しかし最近になってようやく

「ああ母の訴えはあながちウソでもなかったんだ」

と気付く。

更年期に入ってからの身体の老いっぷりは

我ながらほとほと絶望的な気分になる。

 

母は体調や感覚が異様なまでに過敏だったから

ほんの少しの体調の悪化が

この世の終わりくらいにつらかったんだろうと

今なら手に取るように理解できる。

 

やっぱり若さって残酷。

そして老いの痛みもまた残酷。

 

訴えても訴えても

共感もしてくれなくて

治しても手当てもしてくれない

なんでわかってくれないの!

と母は嘆いていたんだ。

 

頼る人もいないから

娘に言うしかなかった。

私にできることはもっとあったかもしれないな。

少なくとも今の私なら

いっぱい思いつくことがある。

 

 

 

秋桜ならぬ本物の桜が咲いていました。

 

 

 

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