こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

なぜ介護をするのか

『私たちが生きることから何を期待するかではなく

 生きることが私たちから何を期待しているかが問題なのだ』

(「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル

 

 

なぜ介護をしなければならないのか

(=何が得られるというのか)ではなく

目の前にいる存在に対峙して

あなたは何ができるのか?と問われている。

 

父は本を読まない人だったので

哲学も仏教も心理学の話もしたことがなく

生きる意味なんて考えたこともないはず。

 

でも存在が私に問いかける。

「この状態の老人を前に お前は何ができるのか?」

 

ずっとそれに応えるための連続だった気がする。

 

”損得”ではなく

何かを”もらえる”からではなく

ただ目の前のいのちを慈しみ

徹底的に与えるという経験をするために。

 

 

介護から手がはなれて時間が経つにつれて

この感性がどんどん鈍ってくる。

そこで再び施設にボランティアに行くことに。

施設利用者さんからは会うたびに

たくさんのことを教えていただく。

 

『なぜ生きるかを知っている者は

 どのように生きることにも耐える』ニーチェ

 

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