母が亡くなった後
ずっと仏花を切らさなかった。
もう取りつかれたように必死に花を飾った。
あの空の巣症候群みたいな
燃え尽き症候群みたいな
あの感じはもうないだろうなと思う。
母よりずっと前に
大切な人が亡くなったときは
ふらふらと放浪の後
エネルギーの振り先を
献血や骨髄提供に注ぎ込んだ。
それがきっかけとなって
「誰かのために生きる」私がいる。
父がいなくなっても
もう私は花を買わないかもしれない。
できることは全力でやっているから。
死んだ人のために花を買うよりも
生きている人のそばにいたい。
その人が動けなくても
意識がなくても
意思の疎通ができなくても
生きているということがすごく重要。