こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

一緒に変わっていく

かつては父の暴走を

察知したり抑え込んだり尻拭いに走った。

当時のメモを読み返した瞬間に再び

はらわたが煮えくり返るくらい

暴れん坊の父だった。

 

今では見る影もなく老いてしまって

すっかりその頃の怒りを忘れていた。

 

一方で

返事を待っていては間に合わないときには

私の判断で「たぶん父ならこうするだろう」

という選択を続けてきた。

 

家族ならではの勘には

まず外れがなかった。

 

最近できるようになったコミュニケーションは

話し合い 意見を聞き合って決めること。

 

これが本来デフォルトなんだがな!

 

父の言いなりでもなく

私の独断でもなく

一緒に変わっていく。

 

やっとここまできたね。

 

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