こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

重要度が上がった

父はずっと

自分の世界から出てこない。

他人がいてもいなくても関係ない

まわりで人が何をしていても気にしない

っていうタイプ。

 

信じられないほど

外の出来事を気にしない人。

 

この病状を理解するまでは

とてつもない苦しみがあった。

母はそれで病んでしまったし

私はその無関心にずっと憤慨していた。

 

でも最近はやっと

自分の面倒を見てくれているのは娘である

と気付いたようで

半年に一度くらいは人間らしい言葉も

出てくるようになった。

 

逆に見捨てられ不安が

強くなっているようでもある。

それだけ老いを引き受けるということは

父のようなタイプであっても

大変なことなんだろう。

 

ある朝起きてきた父が

私の顔を見て「大丈夫?」と言う。

「何が?」

「夜中に呼ばなかった?」

「それはない」

「心配で寝られなかったんだよ」

 

私に何かあったら(オレが)大変

というあたりまでは

こころが育ってきたらしい。

 

一緒に暮らす人の存在がやっと見えてきて

寝られないほど心配できるくらい

重要度が上がったのだ。

 

これ 母と暮らしているときに

気付いて言ってあげればよかったのにね。

 

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