後見人の仕事は
被後見人が亡くなった瞬間に終わる。
その先は相続人の仕事で
後見はあくまでも生きている人が対象。
この感覚は
ずっと生きる意味を探し続けてきた自分にとっては
とても腑に落ちる線引き。
似ているなぁといつも思うのは
仏教式葬儀のこと。
本人は戒名をつけられて修行の道に入り
残った家族は法要という名の追善を
もういない人のために33年間続ける。
よくよく考えてみればまぎれもなく
宗教行為としての御布施なわけで。
そのシステムを理解すると無宗教の自分が
親にわざわざ入信させる理由もない。
本人もいないのに死後
せっせとお金だけ払い続けるのも理不尽。
っていうか亡くなったら
仏教徒として修業の道になんか入らせずに
ただもう静かに休ませてあげたいじゃない?笑
だからできることはすべて
生きている間だけ。
寝たきりでも認知症でも
動けなくても言葉が届かなくてもいい。
全然いい。
すべては生きていればこそ。