こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

暮らしに関わるということ

日の出前の空の表情は

移り変わりが美しい。

 

 

後見の方は穏やか。

あれもこれも課題山積ではあるけれど

様子見とかとりあえず現状維持で

平穏な穏やかな暮らしが続いている。

 

一方で人間関係の調整を

陰ながら細々とつなげていかねばならないが

そちらも急いでよいことはないし

少しずつ心に届くよう関わっていく。

 

という状況で

大変平穏無事な日々が続いている。

つい問題を探したりほじくり返そうとするのが

くせになっているが

「何もないことが幸せな暮らし」

っていうのも良いものなんだなと

改めてつくづく実感する。

 

そしてそれを実現できていることも。

 

三年寝太郎のごとく

我々は有事のときには活躍するのだが

安定しているときはただ

見守りとコミュニケーション。

 

これを士業と契約していると

この間はただ高いコストだけが

流れ出ていくことになり

弁護士を利用していた仲間の話を聞くと

ただひたすら「何にもしなかった!」と怒ってる。

 

この違いは

暮らしに関わるかどうか。

 

見守りやコミュニケーションや

こころを満たしたり人間関係を調整することは

仕事ではないと言い切るんでしょう。

 

暮らしに関わらずに

後見ができるはずもないんだけどね。

 

ykaigo.hatenablog.com