こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

こころ響き合う一年に

「人はどんな風に最期を迎えるのか」

年末に某所でこんな始まりのエッセイを書きました。

ただその瞬間を知りたくて介護を続けている、と。

 

父は無事に年を越しました。

こんなちょびっとしか食べられなくて

人は生きていけるものなんだろうかと

ヒヤヒヤしながら過ごした年末年始でした。

 

三年前に心臓を悪くしてから

みるみる体力は落ち食も細くなり

枯れ枝のように痩せこけてしまいました。

 

それでも頭はしっかりしていて

好き嫌いも多くてわがまま放題。

父を見ていると

認知症が本当に「病気」なんだなと分かります。

加齢はきっかけにこそなっても原因ではない。

 

父はもはや運動も脳トレもせず

ずっとゴロゴロテレビを見ているだけですが

呆けることもなく褥瘡もできないという

不思議で強靭な身体です。

 

思えば父は

年寄りのあるあるを

片っ端から体現してきたのでした。

そのために私は怒りもしたし

悔しい思いもしたわけですが

おかげでたいていの高齢者の悶着には

対応できるようになってしまいました。

それがいよいよ社会の中で役に立つという皮肉。

 

父の老いも母の病も理解して抱えた今

親とは本当に子供を「育てる」のだなぁとつくづく。

 

この13年の軌跡はすべて記録しています。

いつか振り返るときがきたら読み返すとして

今は紡ぎ続ける「生きている」事実を

まだまだ見つめていたいと思います。

 

隣の部屋から聞こえるいびきがいつか

止まることに私が気付くのだろうか。

あるいは急変で入院するのか。

 

あれこれ想像しても

最期のかたちは全くもって読めないけれど

その瞬間を見届けるまでは引き受ける。

ここまで踏み込める学びは最初で最後

親でしか見られないことだから。

まずは夏に迎える卒寿を目指して。

 

 

「暮らしといのち」をテーマに今年も

書き続けていきます。

折しも今年は「心」にフォーカスされる時間。

そんな時代に

想いが響き合う関係性の中にいることに感謝。

 

昨年以上に

こころゆたかな一年になりますよう

今年もよろしくお願いいたします。

 

豊田久乃

 

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