こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

3・11

母がわずか半年しかいなかった老健

あの3・11に遭遇した。

私はその時間たまたま面会に行っていた。

 

全員が屋外に避難した後

少しずつ建物に入れるようになり

電気の消えた室内で

なんとか非常食を使って

食事が提供できそうだ

というあたりまで見届けてから

私は帰ることにする。

 

信号も街の明かりも消えていて

バスは来ないし地下鉄も止まっている。

携帯もつながらない。

まだ18時過ぎだというのに

街は見たことのない真っ暗闇。

 

いつも車で通っていた道を思い出しながら

「確かここを曲がったはず」

「この坂を下りれば大通りに出るはず」

と曲がった道が一本二本ずれていて

行きつ戻りつしながら

二時間近く歩いて実家にたどりついた。

 

家の中も真っ暗で

父も滅多に出さない不安な声。

幸い電気以外は無事だったので

とりあえず蕎麦をゆでた。

それがとても記憶に残っている。

 

今になって冷静に思い返すと

あの日あの古い家に

何の被害もなかったことは

奇跡のようにありがたいことだった。

 

屋根が抜けてたりしたらもう

食事どころじゃなかったから。

 

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