こころ遊多加な介護へ

暮らしといのち

いのちの重さ

先月の満月。

 

ひとのいのちの重さへの感性は

失ってはならないと自戒している。

 

昨今の事情で

「やむなくオンライン」

「便利で距離も近くなる」とか言われがちだが

脳機能と依存症をずっと追いかけていると

オンラインが脳機能にとっても

社会性やコミュニケーションにも

逆効果であることを知っている。

 

一言でいうなら

「去る者は日日に疎し」なのだ。

 

オンライン上で知る他人の訃報は

指先一本で消えてしまう軽さ。

いつしか身近な人のいのちも

同じ軽さで扱われる。

 

ネットでも人の痛々しい姿を

当たり前に目にすることが増えた。

ゲームの中ではもっと

どぎついシーンもあるのだろう。

プレイヤーとしてなら

奪ったり殺したりするのが当たり前。

 

脳はオンラインとオフラインを区別しない。

いつも目にしている世界が現実の行動に現れる。

だからバーチャルの延長線上みたいな

おかしなニュースも増えている。

 

そんな時代の流れに逆行してでも

私が大切にしたいのは

人と会うこと。

 

その人がどう生きて何を思い

誰と過ごしてどんなことを考えていたか

家の中はどうなっていて

大切なものはどんなもので

本当はどんなことをしたかったか

その一つ一つに触れて理解することが

いのちと関わる喜びであり

自分が生きている意味でもあると私は思う。

 

「相手と関わりたいと思う」姿勢。

ノンバーバルコミュニケーション

周波数の共鳴。

 

いろんな根拠があるけれど

なによりも「会えばわかる」。

 

ykaigo.hatenablog.com